[PR]無料アクセス解析/無料掲示板/無料掲示板・日記/画像掲示板・日記/掲示板・チャット  ナツメロオーケストラ     ービオラ奏者の独り言ー
剣岳 点の記
今評判の映画「剣岳 点の記」を見ました。
期待は、大スクリーンに繰り広げられる勇壮な風景でした。
その期待はまぁまぁ満足できるものでした。
しかしこの映画の一番のこだわりは、CGとかの技術は一切使わず、全て生撮りだったということ。
そのせいか、期待以上の迫力・・・とまでは行きませんでしたね。
実際に登頂するわけですから、やはり運び上げる機材に限界があることでしょう。
俳優たちがあの危険この上ない稜線にそってひたすら登る姿には共鳴する反面、
そのことが逆に作用して少々おとなしい感がしました。
多分これは、様々な映画技術を駆使した迫力に慣れてしまった結果ではないかと思いました。

映画が始まってすぐに、この映画は全編バロック音楽が流れていることに気付きました。
ビバルディ・アルビノーニ・バッハの名曲が次々と流れるのです。
後で分かったのですが、演奏は仙台フィルハーモニーとのことです。
あれっと思ったのは、ビバルディの四季が、ヴァイオリンのソロの所が、チェロで弾いて見たり、
オーボエで演奏したり、ちょっと変わった試みをしているところです。
全く別の曲のように感じ、これも面白いと思いましたね。

もうひとつ興味を持ったのが、明治40年に主人公の陸軍測量部隊の柴崎なる人物が、
艱難辛苦の末やっと初登頂に成功したとき、
前人未到と思われた山頂に修験者の持つ錫杖の頭部が残されていたことです。
これは史実であるとのことで、実際には鉄剣も残されていて、立山の博物館にその実物が展示されているとの由。
そこで猛烈な疑問がふつふつとわいてきました。

映画では、重い三等三角点を運び上げるのを諦めて四等三角点しか運べなかったと言う風に描かれています。
この選択は当時の陸軍の意向からして苦渋の判断であったと思われます。
それなのに、この修験者は鉄剣と錫杖を持って上がったのです。
それも遡る事1000年も前の平安朝初期の頃です。
イメージとして鉄剣は腰にぶら下げることは可能ですが、錫杖はどうなんでしょう。
これを手に持って登ったとはとても考えにくいです。
映画では、両手を使って切り立った山場をよじ登るのでも困難を極めたようなので、
無理やり考えるとすれば、背中にでもくくりつけたのか・・・?
それほどまでしてでも運び上げねばならないほど、鉄剣と錫杖は大事なものだったのでしょうか。
イメージ的には修験者は一人で登ったものと思いがちですが、
ひょっとしたら現地の案内人と一緒に登ったとも考えられます。
とすれば、誰か他の人が持ったのかもしれません。
とにかくいずれにせよこの修験者は運び上げたのは事実。
次の疑問は、そこまで重要な鉄剣と錫杖の頭部が何故頂上に残されていたのでしょう。
最も分かりやすいのは、山頂に達したとき、もう息も絶え絶えで、
登頂間もなく息絶えてしまったとする考え。
しかしこれだと、錫杖の頭部だけ残った理由が分かりません。
木製部は長年の風雨にさらされて朽ちてしまって銅製の頭部だけが残ったのか・・・。
はたまた、地上に帰還するとき、自分がここに来たと言う証に、頭部だけ切り離して置いたのか。
錫杖というのは、仏具の一種で、自分に降りかかる災難を振り払う効果がるとされているようです。
これは鉄剣と共に大事に運び上げた理由も分かると共に、
これを持って降りなかった理由は、恐らくは山頂で息絶えた証ででもあると思います。
・・・とするとその骨は発見されなかったのかと言う疑問が残りますが、もうきりがないのでこの辺で。
東国原さんは・・・
今突如として東国原知事さんをめぐってちょっとした騒動が起こってますね。
そしてこれに呼応して橋下知事の動きが活発に・・・。
面白いですね、大好きですこう言うの。(笑)
自民党内でも少なからずの不快感を示す方が多いです。
やれ顔を洗って来いだのあほらしの一言や、自民党も地に落ちた・落ちぶれた・なめられたの声も。
これらの報道から一歩引いて冷静に見つめると・・・。

確かに、今自民党は悲惨な状態にあること、自民党議員は意外と自覚がいないようだと思いました。
このまま行くと間違いなく惨敗ですね。これは余程のことがない限り動かぬことでしょう。
しかし、幹部連中は充分良く分かっているようで、危機感を持ってなんらか手を打っておこうということのようです。
ただそのやり方が、余りにも旧態然としています。
今回の件も、人気のある知事をかついで、劣勢が予想される九州のムードを変えようと言う作戦です。
これも単に、人気を利用しようと言うことでしかありません。
その人の政治姿勢・見識・能力・実力・哲学・人柄等々の資質が党にふさわしいということでの出馬要請とは思えません。
これまで、いかに多くの有名人が出馬要請されたことでしょう。
そしてそのことごとくが、議員になったとたん埋没してしまって、どこにいるのかも分からなくなってしまいます。
それもそのはず、単なる数のうちなだけなんですから。
昔、今東光という昭和の怪僧とでも言うべき方がいました。
まことに強烈な個性の持ち主で、この方が自民党から参議院議員になったときは私も大いに期待したものでした。
しかし大した実績もなく確か1期で引退。
あれだけの強烈な個性の持ち主でも、まるでその存在さえ忘れてしまう。
党にとっては、数だけ増やせればそれでいいのであって、
むしろ実力つけて頭角を現して来るなんてことはして欲しくない。
もしそんな兆候でも出てくれば潰しにかかるのでしょう、きっと。
東国原知事はその辺のところが充分分かっているからこそ、
総裁にしてもよいぐらいの評価でもって迎えてもらえるのなら話に乗ってもよいと言ったのでしょう。
この発言を見ても、この方はなかなか油断のならないしたたかな人物であると、私は思いますね。
この発言が本気かどうかと巷では面白おかしく取り沙汰されていますが、これは全くの本気と思います。
知事という立場だけでは充分な成果が上がらないことへの苛立ちが、こういう方向に走らせた、と見ます。
かつて、彼が女優の加藤数子さんと結婚したとき、彼女はこういいました。
「彼の、より高みを目指す姿勢が素晴らしい。」と。
残念ながら、その姿勢が彼女の認識を遥かに超えるものであったことが災いして離婚。
恐らく彼は、彼女の言うとおり、現状に甘んじることのない意欲的な人物なのでしょう。
不祥事を起こして、その謹慎中に早稲田大学に2回も入学した実績?もあります。

なんにしても、彼の言うとおり自民党は劇的な変貌を求められています。
旧態然を続けていたら間違いなく凋落の一途でしょう。
ここらで、古賀さんの言う「外部のエネルギー」を実現しないことには明らかにジリ貧です。
逆に言えば、橋下知事達も今が最大のチャンスであることも間違いのないところと見ます。



東国原さんは・・・
麻生対鳩山
麻生さんと鳩山さんの党首討論が行われていますね。
テレビに映し出される様子は、私の目では圧倒的に麻生さん不利に見えました。
もうあまりにも不利な条件がそろいすぎていて、鳩山さんにとっては非常に攻めやすい状態になっていると言えるでしょう。
もうこの状態では自民党惨敗ですね。

しかし・・・鳩山さんが首相か・・・。
彼は討論の中で「民主党が政権を取れば4年間消費税を上げない。」「財源は徹底的に無駄を省くことで生み出す。」と胸を張りました。
この時点で彼の勝利が決まった感じがしましたね。
これも余りにもカッコよすぎに感じます。カッコ良過ぎには常に不安の目で見るのが私の癖なんですね。
あるいはこれ、いわゆるポピュリズム・・・だったかな?大衆迎合主義に当たるのかもしれません。
まぁその辺のところは、定額給付金の麻生さんにもそういったところが伺えますからどっちもどっちか・・・。
あー、いないねーこの国には・・・首相となるにふさわしい人材・・・。

しかし、これだけ自民党が不利になってしまうと、なんだか哀れに見えてきました。
なんだかんだ言っても、戦後の日本の発展をリードしてきたのは自民党ですからね。
田中角栄の頃は、あまりにも自民党が強いので、私なんかよく野党に投票したものでした。
私が見るところ、自民党没落のきっかけを作ったのは、金丸副総裁がやらかした数々の汚職・脱税事件だったように思います。
私なんか、もう本当に心から失望してがっくりしたのが、北朝鮮に対する戦後45年間への補償の約束でした。
全くこの人はどういう人なのか、憤怒の情がこみ上げてきたことを思い出します。
小沢さんをはじめいろんな方が自民党を飛び出して、単独政権が不可能な時代となっていろんな連立政権が生まれます。
そしてこともあろうに、自民党は宗教団体を母体とする政党との連立政権・・・。
この辺りからちょっと日本の針路が、大きく変ってきたように思えます。

もう出てこないのでしょうか、中曽根さんとか小泉さんとかいった強力なリーダーシップを持った人材。
私はひそかに再登場を期待しているのは安倍晋三さんです。
思えば、小泉首相の下、安倍官房長官と麻生外務大臣のコンビは最強でしたね。
この3人の連携で後に拉致被害者5人の帰国を可能にしたと思っています。

そんな思いも、今のこの凋落振りは情けない。
ここまで哀れに見えるとなにか「判官びいき」とでもいう感情にかられてくるのですね・・・。
二羽の鳩
今二羽の鳩が元気が良いようです。
このおかげかどうか、更に麻生さんの内閣や自民党の支持率が更に一段と下がり、
野党の鼻息も荒いようですね。
例によって、マスコミ報道から少し下がって客観的に、
私の純な”感性”あるいは”勘”で見ることにします。

この調子で行くと、ひょっとしたら民主党政権が成立するかもしれません。
これは、日本国民の熱しやすくさめやすい国民性が大きく影響しているようです。
確かに、自民党政権下で打ち出される法案や政策には、官僚や役人との癒着が感じられることが多いです。
しかし、これもマスコミの報道姿勢に大きく依存せざるを得ないからであることは間違いのないところです。
そして今のこの政権交代の雰囲気も、マスコミが演出しているといっても過言ではないように感じます。
かつて郵政選挙で自民党が圧倒的に勝ったことを思い出します。
日本国民は本当にマスコミに誘導されやすい国民であるようです。
マスコミはそんなに信用に値するのでしょうか。
しかし私達は何かを信用せざるを得ないという一面もありますね。
何にも信用しなかったら生きていくことすら出来ないことでしょう。
ただ取捨選択することは可能です。

例えば、今話題の鳩山邦夫さん。
今の報道を見ますと、いかにも自分の信念を貫き通した男、
といった映像の部分ばかりが取り上げられています。
しかしこの鳩山さん、かつて「私の友人の友人がアルカーダだ。」と言って世間をあっと言わせたとき、
いかにもあほ面で馬鹿な発言している映像ばかりが報道されてましたね。
全くエライ違いです。
一人の人間を、いかにもあほな人間にするか、立派な信念の持ち主とするか、
マスコミはいくらでもなんとでも演出できることの明らかな例だと言えるでしょう。
そしてその両極端報道のいずれもが、明らかに麻生内閣にとってダメージとなる方向へと国民を誘導しているかのような印象を受けます。

私が若い頃は、報道と言えば事実のみを冷静に伝えることが重要とされていた様に思います。
ですから、「前畑がんばれ」の、感情を表に出した実況報道が当時非常に新鮮で評判になったものでした。
分かりやすい例と言えば、プロ野球でも、アナウンサーがどこのチームをひいきにしているかなんてことを表明するのはタブーであったように思います。
道上洋三という朝日放送のアナウンサーが人気が出たのは、その阪神ファン振りを堂々とラジオでしゃべったことが新鮮に映ったからではないかと思います。
しかし、今はこんなこと当たり前になっています。
アナウンサー同士が冗談を言い合ったりして和やかな雰囲気をかもし出すなんてこと、
かつては想像も出来なかったことです。
報道人は感情を表に出さない、本音を言わないものと思っていた時代だからこそ、
たまに冗談言ったり本音を暴露したりすると新鮮で面白かったのが、
それが当たり前になってしまうと少々食傷気味になってきます。
どちらが良いとか悪いとかではなく、それが世の中の風潮と言うものでしょう。
しかしその結果として私が感じるのは、いかようにも雰囲気を作ることが可能になって来たなぁという感慨です。
これは、国民を惑わせる危険性が潜んでいると言わざるを得ません。怖いことですね。

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